孫文の日本での筆談メモを収録した「宮崎滔天家蔵―日本からの中國革命文獻(xiàn)」が先ごろ、北京で刊行された。8日北京の宋慶齢舊居で行われた発売式で、これら孫文の貴重な筆跡のフォトプリント(畫像印刷)が初めて國內(nèi)で一般の人々の目に觸れた。
同書は中國宋慶齢基金會(huì)研究センターが監(jiān)修、人民美術(shù)出版社が刊行した。宮崎滔天の遺族が収蔵していた39點(diǎn)の筆談遺稿のフォトプリントを収めており、その中には孫文と宮崎滔天の筆談遺稿18點(diǎn)が含まれている。このほか、孫文が宮崎滔天に宛てた書簡20通、滔天の遺族が所蔵していた過去の寫真若干枚とその他の関係書簡も収録されている。
中國革命を達(dá)成するため、孫文は何度も日本に亡命した。1897年、宮崎滔天は孫文と知り合い、その後孫文と中國の民主主義革命を強(qiáng)く支援する日本の友人の一人となった。滔天は日本人に中國の革命を積極的に宣伝するほか、中國の革命関係者の連絡(luò)係を務(wù)め、彼らを全力で援助した。孫文と宮崎滔天は言葉が通じないため、しばしば筆談形式によって中國革命の戦略?戦術(shù)問題を探るほかなかった。激動(dòng)する時(shí)局のため、大部分の筆談資料は廃棄されたが、少數(shù)が滔天によって故郷に送られたため、保存できた。孫文は宮崎滔天の中國革命に対する誠意に感動(dòng)し、「推心置腹」(心を推して腹に置く。心を許し合うの意)の4文字を揮毫して贈(zèng)っている。
中國宋慶齢基金會(huì)の李寧?秘書長は次のように語った。孫文と宮崎滔天の深い友情は中國革命の発展に重要な役割を果たすだけでなく、中日両國の子々孫々の友好の基礎(chǔ)を築いた。滔天の遺族が100年間大事に収蔵していたこれらの貴重な文獻(xiàn)は、孫文と辛亥革命を研究する重要な史料であるだけでなく、中日友好の歴史の生き証人でもある。
?新華網(wǎng)日本語?より 2011年10月9日