6月12日に撮影した北京の盧溝橋にある石獅子。
【新華社北京7月5日】 1937年7月7日、中國(guó)に駐在した日本軍が橫暴に「七七事変」(または「盧溝橋事変」とも呼ばれる)を発動(dòng)したによって、日本は中國(guó)を全面的に侵略し始め、抗日戦爭(zhēng)が勃発した。7月7日夜、盧溝橋に駐在した日本軍は中國(guó)地方當(dāng)局に知らせていないうちに、かってに中國(guó)駐屯軍の陣地付近でいわゆる軍事演習(xí)を行い、また、1人の日本軍兵士が行方不明になったことを詐稱して、北平の南西に位置する宛平県(今の盧溝橋鎮(zhèn))に入って捜査するよう要求したが、中國(guó)の駐屯軍はこの無理な要求を拒否した。日本軍は意外に中國(guó)駐屯軍を攻撃し始めた。中國(guó)駐屯軍第29軍37師219団は奮い立って反撃し、頑強(qiáng)に抵抗した。華北での戦いが日増しに広まるところ、日本軍はまた、1937年8月13日に上海で攻撃を発動(dòng)した。宛平県內(nèi)の銃聲が中國(guó)全民族の抗日戦爭(zhēng)の幕を開けた。