中國(guó)文明の本土起源説と中國(guó)文明の起源、形成、発展の多元一體方式を提起した。
中國(guó)文明の本土起源説は、舊石器時(shí)代から新石器時(shí)代を経て、青銅器時(shí)代及びその後の文化に至るまでの途切れることのない発展がベースとなっている。文化の絶え間ない発展にともなって文明的要素がしだいに育まれ、それがある段階、ある程度蓄積したとき、國(guó)家が建設(shè)され、文明の時(shí)代に入る。この過(guò)程において、中國(guó)の本土文化は一貫して主流であり、この基礎(chǔ)の上に誕生した中國(guó)文明は、當(dāng)然のことながら本土起源である。
中國(guó)文明の起源は中國(guó)本土にあるが、その起源はたったひとつであると言っているわけではない。中國(guó)は広大な土地を有し、地理的環(huán)境が複雑で、文化伝統(tǒng)も多様である。例えば新石器文化と言っても、文化の源や特徴、発展方法に基づいて以下のような六大區(qū)系に分けられる。①長(zhǎng)城地帯を中心とした北方地域②山西、陝西、河南の3省を中心とした中原地域③洞庭湖及びその近隣を中心とした長(zhǎng)江中流地域④山東省及びその近隣を中心とした黃河下流地域⑤江蘇、浙江省(太湖流域)及びその近隣を中心とした長(zhǎng)江下流地域⑥鄱陽(yáng)湖―珠江デルタの一線を主軸とした南方地域。成都平原の寶墩文化とその城址群の発見により、長(zhǎng)江上流の成都平原及びその近隣も獨(dú)立した區(qū)系であると見なすことができる。各區(qū)系はいずれも獨(dú)立した文化伝統(tǒng)を有し、それぞれが文明的要素を生み出している。したがって、中國(guó)文明の起源は多元であるという説に同意する。
中國(guó)文明の起源は多元的であるが、その発展はしだいに一體化へと向かった。約5300年前の中原地域の仰韶文化や北方地域の紅山文化、及びしばらく後の長(zhǎng)江下流の良渚文化には、部落より高度で、安定し、獨(dú)立したいわゆる「古國(guó)」の政治実體が相次いで出現(xiàn)した。しかしその発展の過(guò)程で、それぞれ異なる道を選んだ。軍権と王権の結(jié)合を基礎(chǔ)とし、王権を際立たせる道を歩んだ「仰韶古國(guó)」は、神権を中心とした「紅山古國(guó)」や「良渚古國(guó)」のように社會(huì)の富を極度に消費(fèi)させることはなかったため、社會(huì)の正常な発展が促進(jìn)された。才能あるものが頭角を現(xiàn)して、他の地域の文明の先を行っただけでなく、仰韶から龍山、龍山から二里頭と綿々と続き、しだいに強(qiáng)大になっていった。そして、中原地域を中華文化の中心及び核心とし、さまざまなルートを通して諸処の文化から先進(jìn)的な要素を吸収し、再建と融合によって一體化していった。多元一體方式は、中國(guó)の文明化のプロセスを最も簡(jiǎn)潔に、明確に、正確に統(tǒng)括するものである。
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「チャイナネット」 2009年8月31日
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